「究極の理想」という話を聞いて。
こうありたいという理想が確かにはっきりとわかるし、
そこに近づこうとしている自分にも気づけるようになった今
それでもまだ難しいと悩むことも度々あることなのでちょっと考えてみた。
究極の理想
ある方の話から
というような感じの、とても考えさせられる言葉だった
俯瞰して自分を見る
自画自賛だけど
自分のことをある程度俯瞰して見ることができるようになってきた、叶わない願いに対して
竹さん生きていたら叶わないこともあって当然
そんなこんなも受け入れていくのだよ…
落ち着いた自分はこんな感じ
まだ心が未熟だと感じる場面
一方で「まだ未熟だなぁ」と感じることもある



「あまり多くのものを望んでいないのだから!ここぞというときの願いは、その願いぐらいは⁉︎叶ってほしい‼️」
そう願ってしまう、未熟だなぁって感じる自分もいる
『究極の理想』と未熟さのはざま
『「常に安定していたい」という究極の理想』がある
一方で
まだまだ未熟なんだと突きつけられるとき
🌀理想はあるけど、なかなか難しい🌀
こうありたいけど、なかなかそうはできない🔁
🌀ぐるぐるとしてしまう思考、しかもわたしの白黒思考の強いASDの特性もたぶん絡んでくる部分。
そこで最初のことばが活きてくる‼️



「どこに理想があるのかを知っておくこと」
「その理想に近づくことによって、幸せな日々を生きられる」
もっといえば



「理想に近づきたい」と思い続けること!
それが幸せな日々を送れる鍵となる
のではないか!と
なぜブログにつづる?
「あーたぶん今日も待ち人はこない」
でももしかしたら!
いつの日か待ち人から連絡があるかもしれない!!
「ええい、願いよ叶え‼️」と傲慢な人間の考えがわたしの中の出たときに
ふと考えた。
理想の形は、平常心でいたい。
「連絡をする、しない。は相手しだい。」だし、
「連絡に気づく、気づかないも」もう自分の手から離れた問題なのだ。
と思う一方で、
身勝手な「願いを叶え」と吐き出したくなる自分
またまたエンドレスな🔁悩みになりそうなときに
どこが究極の理想かを知っておくことは、大切。
難しいかもしれないけれどもその理想に近づくことを諦めないことが、幸せな日々につながる。
わたしはそう信じている。
そして、このブログは本当にわたしの心の昇華になっている!そう確信する。
もう一つ大切なことは
わたしのこの「ままならなさと共に暮らしている」状況は
もしかしたらどなたかの
「どうにもならないことに、折り合いをつけようとしている」様子と重なるのでは?
つまり
こうして綴っていることが、どなたかの役に立つのではないか?
そう思って📝書いてもいる💪
さて今日の待ち人
やはり残念、待ち人来ずでした
(わたしが数年連絡取れなかったので、相手から数年音沙汰ないのも、理解しているのでした😌)
ではではそんなところで
「じゃバーイです👋」









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