精神科のDr.と歩むこと10年、わたしは人生なん周目?と思うような本当に長い心の旅をしてきました。
その経験を通して、自分を受け入れることができ、今の穏やかな境地に至りました。
何十年も続けた対人援助職をバーンアウトして辞める
振り返れば10年ほど前、対人援助職だったわたしは、なかなか思うような仕事ができず、適応障害になったのです。
精神科を受診し、数年後には発達障害(神経発達症)のASDと診断されました。
その後も定期的に通院し薬の力を借り、ときにカウンセリングも受けながら、なんとか仕事を辞めずに
踏みとどまっていました。
それでも、残念ながら仕事において、
*自分の能力不足という思いが拭いきれなかった
*劣等感が増幅する、職場の人間関係に耐えきれなくなった
そのため、結局バーンアウトして対人援助職を辞めました。
当事者会との出会い
そんな失意のなか、わたしはある発達障害(神経発達症)の当事者会に偶然であいます。
当事者会のクローズドなSNSに勇気を出して参加し、そこの方たちとやり取りを重ねました。
そのようなSNSはあまり馴染みがなかったわたしですが、テキストスタイルの
文字のやりとりが、ASDのわたしには合っていたようです。
はじめこそ不安で慣れませんでしたが、やがて自分の書き込みに対してリアクションがあることが
うれしくなりました。
そして、SNSの場といえども、人とやり取りをすることが、楽しくなりました。
同じ発達障害(神経発達症)の当事者として
*苦しむ方へ向けて情報を発信すること。
*自身の悩みを吐露すること。
*人の悩みに対してわたしがコメントすること。
これらによって、同じく悩みを抱える人たちから、感謝のことばをいただくことが増えていきました。
あるときは、「需要がありそうなので、グループ(当事者会)を開いたらどうか?」という
ありがたい提案をいただくことさえありました。
たぶん、年齢を重ねる中でわたし自身が、人生の大きなライフイベントを多くこなしてきたこと。
また、今までの心の勉強と、そして対人援助職であった経験があったからこそ、
いただけた提案だと思います。
ずっと探しつづけていた、「生きづらさ」のカケラ
ある日、いつものようにSNSで自分のつらさを吐露し、他の人の反応を待っていました。
でもコメントが、なかなかもらえなかったときのこと。
わたしが以前コメントしたお礼にと、ある方が勇気を持って自分自身の苦しみと、その対処方である
自身のインナーチャイルドへの癒し方を書いてくださいました。

その時にふと、相手の方の苦しみを通して、
わたしは、若い頃から心についていろいろな書籍をみてきました。
適応障害となり自ら精神科の病院を受診し、やがてASDの診断も受けました。
ASDの特性からくる生きづらさの伏線を回収して、ある程度こころは落ち着いたものの、
それでも尚もわからなかった。
たぶん複雑性トラウマに似た症状の「解離」によって、決して表には出てこなかった、
わたしの苦しみ、生きづらさの原因に、当事者会のSNSを通して気がつくことができたのです‼️
思い出しても大丈夫な環境になったこと、そして当事者会でのやりとりのお陰です。

その後もわたしだけでなく、他の会のみなさんの苦しさ、生きづらさの「生きた告白」を目にするたびに
わたしは元対人援助職として苦しむ人の力になりたい、発達障害(神経発達症)に限らず
「生きづらさによりそうコミュニティー」を作り、その人たちの力になりたい。
そのためにわたしの当事者として、また対人援助職としての経験と、知識を活かそう。
そう決意し、コミュニティーを作るために、
このブログとXを始めました💪
バーンアウトして仕事を辞めたときには
どうしても言えなかった「ことば」
🌿 「たとえ解決できない問題を前に弱く無力なわたしたちであっても、苦しむ方から逃げない。無力、弱さのもつ確かな力」
(看取りを専門とする小澤竹俊Dr.)

(小澤先生の講義を受けたときに、いただいたサイン入りの書籍!)
もう一つが
トラウマについて深く学ぶことができた書籍より
🌿「ゆるがずにそこにいること、そのこと自体が支援になる」
(トラウマ治療の第一人者、白川美也子Dr.)

この2つのことばを胸に、
生きづらさを抱えている人たちが安心して
苦しみをさらせる場…
苦しさをもつ、わたしたちみんなで、つらさを
分かち合うことのできる、コミュニティー。
その会を立ち上げるために、わたしは進んでいきます。

コメント